第3項より
「起業家としての成否の分かれ目」
筆者がかつて最初に転職した大手光学器械メーカーはD社で、大型赤外線装置の営業を任されたときのことである。
まず、市場調査、マーケティングから、競合メーカーの動向、性能比較、他社製品の販売台数・欠点の洗いだし、カタログ・販売資料の作成、展示会への出展、総計1万通以上のダイレクトメールの発送等、ありとあらゆる事を行い、少しずつ販売効率を上げていった。それまでのD社の一般大衆向きの製品と異なり、高価な産業製品であったため、筆者はドラスチックに販売方法を切り替えざるを得なかったのである。しかし、このことで筆者の上司や上層部の不評を買うこととなった。
もしここで会社の上層部にいわれるままにことを運んでいたら、強力な競合メーカーに簡単に圧し潰され、売れないことがはっきりしていた。このことはどんなに上層部に進言しても、わかってもらえなかった。
上層部にいわれるままにやったら売れない。自分の考え通りにやったら売れ出した。しかし上層部の不評を買う、というジレンマに陥ってしまったのである。
ここで筆者は実績を上げて、あくまでその実績をみてもらおう、そうすれば少しは筆者に対する風当たりも弱まるだろうと考えた。
しかしながら、販売実績を上げても、一旦買った上層部の不評はもとには戻らなかった。
むしろ、実績を上げれば上げるだけ、実績に比例して筆者の評価は下がっていったのだが、サラリーマン社会ではそんな力学が働くのである。
ここで、申し上げたいことは、この頃の筆者の必死の努力は起業してから大いに役立っていいるということだ。このときの経験なしには会社を起こしてもうまくいかなかったかもしれない。
次に転職した親戚の社長が経営する繊維インテリア関連の会社では、前述のように自分の体力ギリギリまでがんばって仕事をした。寝ること、食うこと、そして1日14〜16時間仕事することの繰り返しであり、そのとき肌で感じ取った小売店への直接販売方法は非常によい経験だった。
やっていることはたいへんだったが、これら大手光学器械メーカーと中小繊維インテリア商社での2つの経験がなければ、起業してもうまくいかなかったと思う。
筆者の経験から、起業してもうまくいくかうまくいかないかの分かれ道は、どれだけ激しい仕事をどれぐらい長時間してきたかによると申し上げたい。
ここでいう激しい仕事とは、必ずしも肉体労働のことだけをいっているのではない。必死になって知恵を絞りだし、少しでもよかれと思う方策があったら労力をいとわずにドシドシ実行してみることだ。そして、それらの方策を完全に自分の経験、知恵をして身につけることである。
少しくらい、上司とぶつかっても気にしていてはだめである。ここがサラリーマンとの別れ道である。一生、サラリーマンで通すのなら、まず上司のご機嫌をうかがわねばならない。どんなに業績を上げても、上司に睨まれたらおしまいである。
筆者にこれらのことから、サラリーマンで出世し成功することと、起業家として会社を作って成功することとは全く相反することであると結論づける。サラリーマンで、とりわけ大企業で昇進してゆくタイプは起業家としては成功しない。
学校を卒業して、すぐ自分の力だけで起業する人はあまりおられない。まずたいていの人はどこかに会社勤めするこのととなろう。いずれ起業しようとの方針を打ち出したら、上司への無駄なごますりをやめよう。やる時間があったら、その分仕事に精を出したらよい。必死に努力し心身症になるくらいまでやったら潮時である。独立へスタートすべきだ。これぐらいやれば成功するだろうとの輪郭が頭の中に浮かび上がってくる。
世の中、起業流行りで、起業塾や起業のための雑誌等があるが、一番肝心なことは、起業する前に並のサラリーマンよりも何倍も必死に努力することだ。アイデアだけ先走っては失敗する。
筆者の場合、人材紹介業を起業するについて、失敗することなど全く考えられなかったし、全く不安もなかった。「ほかに成功している人がいるではないか!それなら自分のいままでの経験、苦労をみてみろ!俺より激しい、厳しい経験をしてきているものは、そうザラにはいないはずだ。それなら成功して当たり前だ」という気持ちであった。
起業というのは面白いもので、一度やって軌道に乗ってくると、さらに「どんな分野でも起業し成功させられる」という自信がわいてくる。
ただし、いままですべて順風満帆だったわけではない。1度ズッコケかけたが、このときも昔の経験が役に立った。激しい経験をしておれば逆風にはさらに強くなるのである。 |