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転職ビッグバン
転職で適格な判断、決定が出来る様に!!外資系企業への転職を身近なものに!
リストラなんてぶっ飛ばせ!! この本をホームヘッドハンターとしてご活用下さい!


 
出版社 山下出版
定価 1,400円
著者 伊地知峻六
(潟_イナミックサーチ研究所
代表取締役)

−目次−

第一章 転職の世界とヘッドハンティング
第二章 インターネットによる転職
第三章 転職に成功する為のノウハウ
第四章 外資系企業の実情分析と転職
第五章 転職の世界で見る日本人の真の姿
第六章 七転び八起きの筆者の転職奮闘記
第七章 男一匹、一度は起業家を目指せ!
     サラリーマンのままで一生を終わるな!!

あとがき

 
 
 

 


転 職 ビ ッ グ バ ン

第5章「転職の世界で見る日本人の真の姿」

■ 第1項 「アメリカ人の”フェアー”の概念と行動」
■ 第2項 「集団の中では人間は必ず足を引っ張り合う」
■ 第3項 「蜜蜂の集団に見る人間のサラリーマン社会との類似性」
■ 第4項 「旧共産圏諸国で勤務してみて」
■ 第5項 「人材コンサルタントとして9年目」
■ 第6項 「日本の転職市場」
■ 第7項 「転職は人格を育む」
■ 第8項 「転職による淘汰は社会を活性化する」
■ 第9項 「日本人の性格はサラリーマン向きにできている」

 

 

第1項より
「アメリカ人の”フェアー”の概念と行動」


 筆者が6社目の転職先のアメリカ系電源メーカーに勤務している頃、時折アメリカから出張してくる若いアメリカ人エンジニアと酒を酌み交わす機会があった。彼らと、あるとき”フェアー”(fair)という言葉について話をした。

 アメリカ人は”You are unfair!”と言われることを非常に嫌う。アンフェアーとはスポーツでよく使うフェアプレイの反対であるが、実は”You are unfair!”という言葉の中には、お前はとてつもなく卑怯者だ、悪賢い人間だ、という極めて悪い意味があるのだ。生活の中に、卑怯なこと、悪賢い事をやっては駄目だという意識がかなり根付いているように思う。もちろん凶悪犯罪等の発生率はアメリカの方がはるかに高い。しかし、会社の中で同僚の足を引っ張るようなことや本人のいないところで中傷するようなことはunfairであるという意識を日本人よりかなり強く持っているように思う。このことはアメリカ人の行動によく表れている。

 日本では表立った凶悪犯罪は極めて少ないが、会社内でのunfairな行動は極めて多い。このことは、「勝てば官軍、出世してしまえばこっちのもの」であり、出世のためのプロセスがどんなに卑怯な、悪賢いものであろうとも結果オーライで許す傾向がある。そして、出世したものにシッポを振って付いていく感覚があるのだ。社長になったものには、みんなが付き従う。

 このことは、筆者が3回にわたって、足かけ1年ぐらい駐在したドイツ系企業の中のドイツ人同士の世界でも日常的であり、「出世してしまえばこっちのもの」という感覚が強かった。上司に対するところかまわぬゴマスリなど見ていてヘドが出るくらいだった。しかしながらドイツ人が同僚を陰で中傷し、足を引っ張り、イジメるような行動はほとんど見かけなかった。

 日本の会社内での派閥、学閥、同僚への中傷、中途採用イジメ等の陰湿な行動は、日本人に染み付いたものであり簡単には取り除けるものではない。

 しかし、日本人である限り、誰でもいつかは自分自身がこのような陰湿なイジメを受ける順番がまわってくるということも脳裏に刻むべきである。 

 

 

第2項より
「集団の中では人間は必ず足を引っ張り合う」


 人間は集団を作ると必ず序列を作る。会社組織の中では、組織的に部長、課長のリーダーは任命されるのだが、会社といっても所詮人間の組織である。 基本的には部長が課長を選び、課長が係長を選ぶ。このとき、たとえ人間の判断に間違いがあったにしても、真に会社の業績向上にプラスになる人間を選ぶようにしてくれればよいが、 そこは部長、課長とて出世欲がある。自分と敵対する人間を昇進させようとはしない。自分の出世にプラスになる部下を昇進させようとするだろう。

 下の方から、係長、課長、部長と上にいくに従って好き嫌いのファクターが多くなる。役員クラスの任命では社長が自分の権力の座を守るのに都合のよい人物を選ぶから、ほとんど好き嫌いで決まるといっても過言ではない。

 組織の中で他人より早く出世したいと思えば、自分の通信簿を付ける上司に気に入られようと努力する。このとき、人間は必ず競争相手の足を引っ張るような行動に出る。 このように他人の足を引っ張る行動は極めて卑劣な行動であるが、組織の中では人間は誰でも程度の差こそあれ、このような行動を行うものである。

 会社という組織であれ、町会であれ、学校であれ、国家であれ同じである。

 しかし同時に、人間には理性があり、やっていいことと悪いことは、ある程度自覚できる。このやってよいことと悪いことの境界線の引きかたは個人により極めて大きな差がある。

 仮にこの境界線の引き方を自浄度と名付けるとすれば、この自浄度は個人により大幅な差がある。また、これほど個人差のあるものはないのではないか!と申し上げたい。 さらにこの自浄度は、人間の知能レベルに関係なく、個人の育った環境、教育により異なり、国籍によっても大幅に異なる。

 国の自浄度が1.0以上であれば、たとえ大統領といえども、不適切な関係を行えば国民から糾弾され、場合によっては弾劾される。 反対に1.0以下の国民であれば、一旦軍人が権力を握れば、もうもとに戻らなくなり軍国主義国家となり暴走を始める。

 会社の中でいえば、自浄度が1.0以上であれば、社内の雰囲気は自然とよくなってゆくが、1.0以下であれば次第に悪くなってゆく。 社長が外国人である日本の外資系企業は、ほとんど自浄度1.0以下である。

 このような会社では、実力のあるまじめな社員は生きてゆけない。早晩必ず会社から放り出され、実力を発揮する機会などない。

 転職のときは、自浄度1.0以上の会社でなければ絶対に転職してはいけない。この自浄度を転職前に推し量るのも自分の実力のうちである。

 

 

第3項より
「蜜蜂の集団に見る人間のサラリーマン社会との類似性」


 ある昆虫学者が蜜蜂の集団について実に面白い観察をしていたので、ここに紹介したい。

 夏の間に、せっせと巣箱に蜜を運んでくる蜜蜂にも、まじめに一生懸命働いている蜜蜂と、あまり蜜を運んでこない怠け者の蜜蜂がいるそうである。そして、その割合はかなり一定しているらしい。

 ここで一生懸命働く蜜蜂だけを集めて、一つの集団を作ってさらに観察したところ、すべての蜜蜂が一生懸命働くのではなく、やはり一生懸命働く蜜蜂と、怠ける蜜蜂に分かれてしまい、その割合は前の働く蜜蜂と怠ける蜜蜂の場合と同じだったそうである。

 この事実は日本のサラリーマン社会と何やら似ていて非常に面白い。

 よくいわれることだが、まじめに働くサラリーマンは2割で、働くでもなし怠けるでもないそこそこの社員が5割、会社にブラ下がっている社員が3割という話しがある。サラリーマン社会の2・5・3などというが、これはよく当たっているように思う。

 蜜蜂と比べたらはるかに知能レベルの高い人間の組織で、どうしてもまじめな社員とそうでない社員とにある一定比率で分かれてしまうのは、人間に闘争心や他人より出世しよう、金持ちになろうという欲望があるせいだろう。人間はこれからも世代を重ねるごとに、 少しずつ進化し、知能レベルは上がっていくことと思うが、人間社会がこのように分かれることは、いつになってもなくなることはないのであろう。

 サラリーマン社会の2・5・3についていえば、ある組織または会社の中で、トップまで昇り詰めている人は決して2割の集団の人ではない。5割ないし3割の集団の中からトップは生まれる。2割の一生懸命仕事するグループの人は、長い間に引きずり下ろされるような力学が働くのである。

 自分で起業し、会社を大きく育てていくような人は、当然2割のグループにいる人である。しかしながら、これらの人が自分の息子を2代目にすえて、どのように帝王学を教えても、 所詮自分自身で血を吐くような努力をしていないので、5割及びブラ下り組の3割のグループの人であり、会社はあまり成長しない。3代目になれば、そろそろ業績は下降し始めて、ときには倒産することもある。

 サラリーマン社会が2・5・3の割合であっても、全体を底上げしたり、ある一定期間だけ2割の一生懸命働く人の割合を3割4割くらいに上げることはできる。

 これはその組織のリーダーの実力にかかっている。社長が社員の模範となり、必死に努力し、人格的にも優れた人であれば、いろいろな紆余曲折があったにしても、その会社は少しずつ業績を上げ、少しずつ良くなってゆく。駄目な社長になれば急激におかしくなってゆく。

 よく、会社内でドロドロした人間関係に嫌気がさして、実力主義であるかもしれない外資系企業に転職を考える方が結構多いが、同じ日本人の組織である以上、日系であれ外資系であれ、タチの悪い新兵イビリの好きな古参兵はどこにでもおり、ドロドロした人間関係はどこにでもある。 要はそのような組織の中でも生きてゆけるタフな精神力、体力、上手な受け答え等のテクニックを付けておくことである。

 


第4項より
「旧共産圏諸国で勤務してみて」


 筆者は、大学卒業後入社した会社の3年目の終わり頃、旧共産圏の東欧諸国に駐在することとなった。

 今では、中国もほとんど資本主義国家と化し、実際の共産国家は北朝鮮ぐらいになってしまったが、共産国家とは聞きしに勝る、非効率的で、官僚的で、貧しく、人々のやる気を削ぐところであった。実際住んでみて、すぐに、いずれは崩壊していくシステムであろうと直感されたものである。

 学生時代、左翼思想に傾斜していた筆者にとって、理想と現実の極めて大きな落差は自分の頭の中のものを上下180度ひっくり返してしまうぐらいのショックがあった。

 しかしながら、しばらく住んでいるうちに、少しずつこれらの官僚的で貧しい国々で素朴で質素な生活をしている人々に何かしら愛着みたいなものを感じるようになった。

 赴任後しばらくして、小さなBMWを購入し、国から国へと忙しく働くようになった。これら共産圏に住んでいる一般のサラリーマンは、駅の切符切りからレストランのウェイターまでほとんど公務員なのであるが、日本の会社勤務のサラリーマンより物質的に恵まれていなくてもはるかに幸福なのではないか、と自問するようにもなった。

 日本のサラリーマンのように、よく統制がとれていて、ほとんど社畜化され、長時間残業や激しい勤務にもたいして文句を言わず、ただ従順に働く姿は、日本の経営者から見ればすばらしく”優秀な”勤労者であり、民族であると映るのだろう。しかし、かって日本のサラリーマンであった筆者から見れば、哀れな牧場のホルスタイン牛のようなもので、いずれは首切りにあい、処分されていく運命の単なる家畜ではないかと映る。

 旧ドイツ領であったポーランドの大化学工場で3週間くらいずつ何回か働く機会があったが、ここでの勤務は朝7時出勤で、ぶっ通し午後2時までであった。しかし、一応昼食なしではあったが、パンやソーセージ等を食うことは許されていた。

 午後2時になると全員が一斉に退社し、保安要員以外、誰一人として残業している者はいなかった。まるで毎日が半ドンみたいであり、これで完全週休2日制でもある。これでは国の経済力は成長しないであろう。

 ポーランドの夏は夜9時半頃まで明るい。午後2時から暮れるまで、みなそれぞれにサッカーをしたり、農作業をしたり、あるいは家の修繕をしたり、毎日を充実して生活しているようであった。物質的には極めて貧しい生活であり、また政治的にも抑圧された中での人々の生活であった。筆者は、よくポーランド人の自宅に招かれていったが、強いポーランドウォッカを飲みながら聞かされることは、ほとんど共産主義ロシアへの恨みつらみであり、そして「一生のうち一度はパリへ行ってみたい」という願いであった。しかし日本のサラリーマン生活と比べると、彼らの生活にはどことなく潤いが感じられた。このことはポーランドのみならず他のすべての東欧諸国、そして筆者がその後赴任していったスカンジナビア諸国でも、まったく同じように感じられた。

 平成10年8月28日の朝日新聞に、元電通社員で24歳にして”過労”から自殺していった社員の労災認定の記事が出ていた。日本でトップの広告代理店、電通に入社して自殺するまでわずか1年4ヶ月、記事によると「電通に入社してから翌年1月には週1、2回は午前2時過ぎまで残業、1月から8月に自殺するまでの間、午前2時以降の退社は66日に上った。8月は午前6時半までの残業が3日に1回、徹夜勤務は六日に及び、『人間としてもう駄目かもしれない』などともらしていたという」ことであった。

 電通という超1流企業では”自浄作用”は働かなかったのであろうか!周囲の同僚、上司は少しくらい気遣ったり手を差し延べることをなぜしなかったのであろうか!

 これでは、物質的には貧しくても、また秘密警察の監視のもとであってもポーランドの勤務者のほうがはるかに幸福であろう。

 24歳で自殺した電通社員のケースは、日本の大企業では決して極端なケースではない。自殺にまで追い込まれなくても、その1歩手前までのケースはごくごく日常的なのだ。日本の戦後の驚異的経済成長は、官僚が優秀であったせいではない。軍備に金を浪費しなかったせいでもない。ましてや政治家の政策が優れていたせいでもない。ただ単に日本の私企業のサラリーマンが、時には自殺者や心身症患者を出しながらも必死に働いてきた結果に過ぎないのである。

 必死に働いてきたサラリーマンに、ある日突然のリストラ解雇。これまでは企業の「これくらいやらなければやってゆけません」という論理で妥協したとしても、日本の企業の中途採用者をなかなか採用しないシステム、中途採用者への差別、イジメ等の社会の歪はいますぐ正さなければならない。

 

 

第5項より
「人材コンサルタントとして9年目」


 平成2年1月に人材コンサルタントの道に入ってから13年目、いままで多くの人の転職をお世話してきた。中には筆者と同じように突然解雇通知を受け、悶々としながらも転職活動を行い、こちらにお見えになった方もおられる。

 昨今のように、企業がドシドシ、リストラという名の解雇を行うようになると、中には筆者が解雇になったときのように、あるいはそれ以上に理不尽な仕打ちを受けた方にお会いするケースもある。

 筆者は、あまりにも常軌を逸脱したケースでは「このまま泣き寝入りせず、できるだけ正々堂々と、やるべきことをやりなさい。」「転職活動はそのあとに、あるいは平行してやりなさい」とアドバイスしている。

 あまりにもひどい仕打ちを受けたままでは、忘れろといっても、頭の中から完全に消し去る事はできない。「正しくても負けた」という意識と激しい憤りがどうしても記憶の中に残ってしまう。

 平成9年、外資系企業の人事課長を退職された40歳の女性の方が登録に来られた。いろいろ話を伺ってみると、入社して7ヶ月あまりで解雇になり、聞く限りにおいてはあまりにも一方的なケースであった。筆者が転職活動と平行して裁判に訴えることを勧めると、彼女はすぐに霞ヶ関の東京弁護士会館に駆け込んだ。

 そして、それから約2ヵ月後に電話があり、「おかげさまで勝ちました」と言う。

「まだ2ヶ月しかたってないではないですか」

「いや、正式裁判になる前に相手が和解を申し出て、和解金をいただきました」というのである。これは筆者が助言した中でもっとも短期間に解決したケースである。相手のほうも理不尽な仕打ちをしたという認識を持っていたのであろう。

 地位保全の仮処分等の裁判では解雇された側が勝つケースは少ないのだが、しかし、あまりにも極端なケースについては日本の低レベルの司法システムでも少しは自浄能力を持っている。自分に確固たる自信がある場合は、少しくらい手間をかけても正々堂々と戦うべきなのである。そしてかつケースが案外と多い。

 裁判に訴える場合、たいていの場合、訴える側より訴えられる側がはるかに負担を感じるものであることを付け加えておきたい。

 

 

第6項より
「日本の転職市場」


 日本の大企業も最近はリストラという名の人員整理、解雇を行うようになった。

 まだアメリカほどドラスチックではないにしても、日本の大手企業も、ときには早期退職優遇制度という、かなり日本的で、一見親心が滲み出ているようなリストラを始めている。

 これは、基本的に退職希望者を募るもであり、大企業の場合、通常の会社都合の退職金に、多いところで1〜2年分の年収に相当する退職金がプラスされているので、次の転職先を探すにしてもかなりの余裕が持てる。

 しかしながら、このように優遇されるのはごくごく一部の大手一流企業のみであり、中小企業では会社都合の退職金にわずかばかりプラスされるだけである。

 一流大手大企業でさえリストラを行うのであるから、日本の全企業において必要に応じてリストラという名の解雇を行うことは、企業の経営者がいかに頑張ったとしても不可避であろう。これからは日本企業も国際的に同じ土俵の上で、西欧諸国と、そして日本のあとを追いかけてくる発展途上国と、できるだけ貿易の垣根を低くして競争して行かなければならない。だから日本だけ給料をガッポリもらって、かつリストラせずにやっていくことはできるわけがない。

 それなら、リストラされ、解雇された社員を少々給料がダウンしても採用する転職市場の構築が絶対に欠かせない。中途採用者に対する不当なイジメなど言語道断である。

 これは一朝一夕に、すぐできることではない。まず有能な人材がいたら積極的に採用する度量をどの企業も持つべきであり、とくに大手企業では中途採用者の最低限の割合を規定し、強制することも考えてよいのではなかろうか。

 リストラは簡単に行うが、中途採用は行わないなどという身勝手はこれからは許すべきではない。

 有能な人材なら分け隔てなく採用する効能は、優秀であれば中途採用したテノール歌手を社長にまでするソニーの業績と、中途採用をほとんど行わない日立、東芝の赤字転落という業績格差にもはっきりと出ている。

 いいアイデア、いい人材なら、すぐにでも採用しようとするアメリカンスピリッツと、終身雇用という美名のもとでリストラ、出向、転籍、解雇を影に隠れてコソコソ行ってきた日本との差は、今の経済の実力差にそのまま反映されていると思う。

 

 

第7項より
「転職は人格を育む」


 日本人の組織の中では、あとからその組織に入ってきた者は必ず差別される。中途採用者は程度の差こそあれ悲哀を味わう。

 転職先で苦労することが多いが、しかし長期にわたってみるとその苦労を必ずしも苦労と感じないようになる。すなわち苦境の中で必死に頑張ることは、自分自身の成長につながってゆくのである。

 転職という、いままでまったく経験したことのない組織の中に自分自身を埋没させていく過程は、当初ものすごい不自然さを感じるものである。それが次第に「むしろ自分自身に不自然さがある」と自覚するようになる。 そしてこのことが自分自身の反省へとつながってゆく。さらにまた、このことが自分自身の人格形成に大きく役立つ。

 転職回数が多くなることは、日本のサラリーマン社会では極めて不利である。しかし転職回数が多くなることは自分自身の人格形成に大きく寄与する。

 サラリーマンのままで転職を重ねることにより、これらの金銭的な不利益を取り返すことはかなり難しい。しかし起業したときには、 転職回数が多く、その過程で必死に努力されてきた方がはるかに成功する確率が高くなる。このことは自信を持って申し上げられる。

 リストラにあい、必死に転職活動しておられる方々がお越しになるが、自分を見つめながら努力すれば必ずチャンスはあると申し上げたい。むしろ転職回数の多い人のほうが人間が円く、相手を思いやる気持ちが強いようだ。

 個人レベルで見る日本人は、勤勉で優秀だと思う。それが、組織に入るとおかしくなってしまう。個人レベルの経営者の中には自分の能力を買ってくれる人が必ずいる。決してあきらめないことである。

 筆者の場合、一回目の転職から何回か転職を繰り返し、8社目で独立するまで、まるで虹の色が紫から赤に変わっていくようにはっきりと自分自身が変わっていくことが感じられた。 最初の転職で入社した会社では、ひどい心身症まで患ったが、すっかり回復してみると、心身症を患っている最中の自分の上司や周囲に対する対処のまずさ、欠点がはっきりと頭の中に浮かび上がってくる。その後、どのような仕打ちを受けても心身症にならない免疫ができてきた。

 新卒で入社した会社から転職してゆくに従って、筆者は次のように自覚していった。

(1) 1社目は建て前で仕事する。
 
(2) 2社目は自分の真の実力で仕事する。
 
(3) 3社目以降は自分の実力の上に人間性が涵養されてくる。そしてその後、転職を繰り返す過程でこの人間性に磨きがかかっていく。

 転職の過程を、いま振り返ってみるとまさにこのように感じられるのである。 

 

 

第8項より
「転職による淘汰は社会を活性化する」


 前項に述べたように、転職は多くの困難を伴い、転職で成功することは容易ではない。しかし困難を伴う分、自分自身に性格的、人格的な成長という見返りが必ず伴ってくる。

 しかしながら、まだまだ日本の社会では転職しないほうがはるかに有利にできている。たとえば公務員の社会はその典型である。国家公務員のキャリア官僚の場合、トップの事務次官に昇り詰めるまで、周囲のキャリア官僚が少しずつ間引きされ、関連の外郭団体や許認可権を掌握している企業に天下っていく。これは大企業の場合と似ている。一人の人間が社長に昇り詰めるまで、周囲の者が少しずつ間引きされ、子会社や関連会社に転職させられてゆき、二度と親会社に帰ってこない。子会社、関連会社に飛ばされた社員は、いまでは大方、二年ぐらいで転籍となり、給料も大幅ダウンとなりその後は「転職するなり居残るなり勝手にしてください」ということになるが、しばらくすると、ここからも追い出されてしまうのが通常である。

 官僚の場合、外郭団体や関連企業に天下っても、かなりの年齢になるまで身分は保証されている。高級官僚だけでなく、一般の国家公務員や地方公務員まで国家の財政が危機に瀕している現在でも、当たり前のごとく終身雇用を満喫しているのが実情である。

 民間企業に勤務しておられる方々が、これら高級官僚や一般公務員の仕事ぶりを見て「民間企業のサラリーマンより、よく仕事している」とお感じになることは日本全国唯一人としておられまい。

 日本の公務員社会には転職による淘汰がまったく存在しないのである。淘汰がなければ自己研鑚、啓発の気が失われ、気持ちが澱んでくる。自分たちだけ給料をガッポリもらえれば、国の借金がどんなに増えても、失業者が大幅に増加しても、かつまた多くのエイズ患者が厚生省のミスで苦しんでいても責任を取ろうとしない。いわゆる”コウムインコンジョウ”がはびこる。

 アメリカでは大統領が替わると高級官僚もクビをすげ替えられるそうであるが、日本でも首相が替わったら、高級官僚も替えたほうがよい。また一般の公務員も、民間企業の激しく厳しい仕事内容を経験してきた中途採用者を大幅に増やすべきである。公務員にも「クビにならないよう頑張ろう」という競争原理を植え付けてやらねばならない。

 転職による淘汰は社会を活性化するが、民間企業だけでなく公務員社会も活性化する必要がある。

 

 

第9項より
「日本人の性格はサラリーマン向きにできている」


 筆者が数年間の外国駐在から帰国したとき、日本人は自分の考えを率直にオープンにせず、正々堂々と主張しないと、ふと感じたものである。

 このことは日本で仕事している外国人、とりわけ教鞭を取っている外国人から、よく指摘される。

 同時に日本人は、強い者、上の者にはすぐシッポを振って付き従い、弱い者、下の者を見下し、蔑むことによって上に這い上がろうとする。

 このような日本人の一般的な性格は、生まれたときから日本人の中で生活していては、なかなかわからない。しかし、日本人のいないところで長期間生活していると次第に感じてくる。

 転職の世界は自分一人だけの世界である。転職先の組織の中に自分自身を合わせて埋没させてゆかねばならない。

 転職先の会社が自分に合わせてくれるのではない。待っていれば自分のために仕事を与えてくれるのではない。転職先ではすべてゼロから自分自身でやらねばならない。仕事も自分で作り出してゆかねばならない。

 転職先で自分の考えを主張せず、ただ待っているだけで、上司にはペコペコするが、相手が弱いと見ればその欠点を突こうとするような性格では、いつかは周囲の人間から侮蔑され突き飛ばされてしまうであろう。

 このような日本人の性格は、学校卒業後入社した会社で転職せず、定年退職まで働いていく人にはぴったりなのである

 しかし転職の荒波を泳いでいけるタイプではない。ましてや起業し、会社を創って成長させてゆけるタイプではない。

 第4章の図表19に見るように、日本人の転職経験者数はアメリカの六分の一、旧西欧の七分の一以下ではあるが、これは企業が終身雇用のもとで指導してきた結果ではなく、日本人自身が転職の功罪について自ら判断してきた帰結であり、その大きな理由は日本人の性格、ものの考え方にある。

 これから否応なしに転職せざるをえない世の中になっていくに従い、このような日本人の性格は変わっていくのだろうか。もっとオープンに、正々堂々と自己主張し、他人の中傷や足の引っ張り合い等、自分自身の自浄度を下げるようなことはやらない日本人に自己改革していかねばならないと、筆者は考える。

 

 


第一章 転職の世界とヘッドハンテイィング 第二章 インターネットによる転職
第三章 転職に成功する為のノウハウ 第四章 外資系企業の実績分析と転職
第五章 転職の世界で見る日本人の真の姿

第六章 七転び八起きの筆者の転職奮闘記

第七章 男一匹、一時は企業家を目指せ! あとがき
転職成功者からの手紙  

 

 
 
 
 
 
 
 
   
 

 

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